令和元年 居神神社例大祭
2019年05月09日更新

3日の北條五代祭りに引き続き、4日5日と同じく当会理事の呼びかけで小田原、居神神社の例大祭に参加しました。

小田原遠征および、こちらのお祭りへの参加も今年で2年目になります。

荒久町会神輿

4日5日と今年も理事の地元町会である荒久様にお世話になりました。

4日の宵宮はまず居神神社へ町会神輿の御霊入れへ

居神神社は永正17年(1520)に創建され、小田原北條氏に倒された相模三浦氏の最後の当主である、三浦荒次郎義意公を主祭神として祀っています。神社の社紋は三浦氏の三つ引きの紋が使われてており、現在は氏子八町の氏神様として小田原の地を護って下さってます。

その後、渡御が始まります。今年は残念ながら途中で雨が降ってきてしまいました。

町会に戻り、各家に門付けが始まります。門付けとは神輿を家や店の正面に付けて、小田原木遣りを歌い飛んで突っ込んでいく動作です。

理事宅への門付け

途中、当会理事の家にも神輿が入りました。

4日はその後に山車曳行と夜の渡御を行い解散となりました。

夜も町会の家への門付けを行いました。



4日ラストの直線ダッシュ。今年は100メートル長かったです…

5日の本祭は居神神社本社神輿の発輿祭からのスタート。社殿の周りを三周まわり、階段を降ろします。

神酒所の前から飛び(小田原の方言で走ること)、神酒所の正面であおりを決めます。

普段の江戸前担ぎとは異なる小田原の担ぎ方、昔からこの担ぎを経験している理事は慣れたように動いていましたが、他参加会員には衝撃的だったようです。

あおり
回ってます

交差点では右回りに神輿の回転も行いました。

西海子小路の桜並木の下を行く本社神輿
神輿の前には神主、社名旗、猿田彦(天狗)、太鼓、榊、鉾、巫女、総代さんの行列が先導します。
居神神社本社神輿
明治21年(1888) 香川文造高之作
大屋根には八棟、台輪は二重、彫り物も含めて漆を全く使っていない八棟白木造りの神輿

また、5日は今年入会してくれた一年生も1人担ぎに来てくれました。

そして、宮神輿が荒久に向かう際には御厚意で荒久の皆様に混ざり、若木睦会員も全員前棒を担がせていただきました。

回転の時もしっかり担ぎます。
飛んでいます
無事荒久の神酒所に到着

大きく重い宮神輿をしっかり担ぎきりました。

荒久の神酒所を過ぎるといよいよメインイベントの「お浜降り」へ

今年は波が穏やかでした。

5月の相模湾、荒久の浜に今年も居神神社の神輿が入りました。だいぶ日差しが強く暑かったため、水温はいい感じでした。

祈祷の後には巫女舞も披露されました。

お浜降りが終わり、宮神輿が板橋地区に渡されると荒久神輿の駅前渡御へ

今年は10連休、いつもより観光客が多い中を担ぎました。荒久神輿は人が少ない中、若木睦会員は大活躍でした。

小田原の名店 だるま料理店への門付け

その後、日も暮れてくると神輿は居神神社に集まります。

神社へ向かう神輿

神社に着くとまず、氏子町会の神輿四基による一斉宮入が行われました。

参道をとぶ荒久の神輿

町内神輿の宮入は先頭の神輿が木遣りを一本いれた後、神社の階段を各神輿が一気に社殿前まで駆け上がっていくとても豪快なものでした。


もちろん走って登っています。
社殿前でのあおり
最後に国道で飛びました。

例大祭のクライマックスは宮神輿の宮入。国道を通行止にしてその中を神輿が暴れまわります。

今年も15分ほど国道で暴れまわったそうです。
地元の会員も必死で食らいつきます
暴れ終わると階段を一気に担ぎ上げます。

宮出し同様、社殿周りを三周し、神輿が降ろされました。

社殿正面でのあおり

居神神社神輿保存會様、荒久新誠會様、特に芦川家の皆様には北條五代祭りからの3日間大変お世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。また、地元会員の芦川には保存會や宮司様への紹介など色々と便宜を図っていただきました。居神神社と荒久の皆様、今年もお声かけいただき本当にありがとうございました。

居神神社様、令和最初の例大祭おめでとうございました。

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