居神神社例大祭
2018年05月15日更新

ゴールデンウィークも終盤となった5月4日5日に神奈川県小田原市に鎮座する居神神社の例大祭に参加しました。当会広報である芦川の氏神様です。

居神神社は永正17年(1520)に創建され、2020年には御鎮座500年の節目を迎えます。

御祭神は「三浦荒次郎義意公」、「木花咲耶姫命」、「火之加具土神」の三柱です。

特に主祭神「三浦荒次郎義意公」は戦国時代初期の武将です。今の神奈川県三浦市のあたりに居た三浦氏の最後の当主であり、関東に勢力を伸ばしていた北條氏に滅ぼされ、自身も戦場で自分の首を自ら掻き切って死んだと言われています。三浦荒次郎義意公を主祭神として祀っていることから、居神神社の御神紋は三浦家が使っていた「丸に三つ引き」をそのまま使っています。

居神神社には三浦荒次郎義意公のこんな伝説が残っています。

掻き切った首が三浦(今の油壺の辺り)から小田原まで飛来し井神の森の松にかぶりつきました。そのまま3年ほど目を開き腐りもせずに通行人を睨みつけ、道を通る者、首を見た者は気絶したり、最悪死に至る者までいたそうです。それを聞いた久野総世寺の住職が読経し「うつつとも 夢とも知らぬ ひと眠り 浮世の隙の 曙の空」と一句詠むとたちまち首は白骨化して松から落ち、その時に空から「我これより永く当地の守り神となるべし」との声が聞こえました。その松の下に祠を祀ったのが居神神社の創始とされています。

残念ながらその松は既に枯れてしまったのか今に伝わるものはありません。しかし、敵国の武将であった三浦荒次郎義意公は敵地であった小田原の地の守り神として今、確かに存在しているのです。

居神神社例大祭は4日の宵宮と5日の本宮の2日間行われます。2日間とも、広報の地元町会である「荒久」にお世話になりました。当初の予報では雨になるのでは?と言われていましたが、見事に晴れて木々の若葉の匂いを感じながら神輿を担ぎました。

4日宵宮は町会神輿渡御と山車曳行に参加しました。

町会神輿は比較的小ぶりなため、どんどん担ぎに入りました。

小田原では御祝儀をもらった店や家に門付けしてとび(小田原の方言で走る)ます。

この時に歌われるのが「小田原木遣り」というものです。元々は漁師が網を引く時に息を合わせるために歌った歌です。

山車では小田原囃子を聴きながら町内を曳きまわりました。

5日本宮の午前には、本社神輿の南町渡御にも参加しました。

本社神輿はとても重く担ぎ応えがありました。「荒神様の暴れ神輿」とも言われ、神輿はとても荒々しく担がれます。屋根は八棟、二重台輪の白木造りで、屋根も漆が塗られていません。そして飾り金具や提灯の紋は巴ではなく丸に三つ引きです。

本社神輿は氏子各町の神酒所で安全祈願をしながら渡御していきます。

神輿が下がってくると「チョイチョイチョイノオッチョチョイノチョイ」の掛け声で神輿を上げます。ちなみに居神神社の本社神輿は木遣りを歌いません。

昼頃には荒久の神酒所に到着、その後浜へ向かいます。

荒久神酒所では集合写真も撮りました。

荒久の神酒所を出るといよいよ浜へ向かいました。浜に着いた神輿はまず大量祈願祭を行い、式典が終了したのちに南町渡御の見せ場「お浜降り」が行われました。

なかなか経験できないお浜降り、楽しんで担ぎました。

神輿が入る荒久の浜はただでさえドン深(すぐ深くなる)で波が高いのですが、今年はいい波がきてた為、浜から上がった後はみんな頭までびしょ濡れでした。

そのまま次の神酒所まで担ぎ、本社神輿の南町渡御は終了しました。

午後は町会神輿を小田原駅方面に持っていき担ぎました。

こちらでも御祝儀をいただいたお店に門付けしていきます。

居神神社の他に小田原駅周辺の松原神社、山王神社、大稲荷神社も合同で例大祭を行なっているため、とても賑わってました。

午後6時頃に町会神輿は宮入する居神神社の横に到着。板橋渡御をしていた本社神輿も神社横まで帰ってきました。

午後7時、まず町会神輿が宮入しました。今年は荒久が先頭、木遣り歌が一本入るとそれに続けて氏子町会の神輿が次々に神社の階段を社殿前まで一気に上がっていきました。

そして午後7時半、居神神社例大祭のクライマックスを飾る本社神輿の宮入が始まりました。

 

国道1号線を上下通行止にして、15分程とびまわります。

やっと神社に入ると、低い鳥居を潜りながら階段を社殿前まで一気に上がっていきました。

そのまま社殿周りを3周回り、社殿前に着くたびにあおりを入れます。

宮入が始まってから約25分、神輿が降ろされ長かった本社神輿の渡御が終わりました。

御霊が神社に戻った後、三本締めをして神社はお開きになりました。

最後に町会神輿が荒久の会館に戻り、会館に向けて最後の門付けをして全ての渡御が終了しました。

2日間通して、小田原の神輿を肌で感じ、小田原の木遣り、担ぎに深く触れられました。

普段と違う担ぎ方だった小田原流の神輿、やることほぼ全てが新鮮で木遣り歌の時やとぶときなど少し戸惑う場面もありましたが、とても楽しめました。

 

是非来年もよろしくお願いします!by広報芦川

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