若木祭「神輿渡御」とは

若木睦の核となる活動 若木祭の「神輿渡御」

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そもそも若木睦の活動に掲げられている若木祭の神輿渡御とは何なのでしょうか。

実は、若木祭の神輿渡御は若木睦が誕生する以前から毎年斎行されている伝統行事でした。
まず、この話を進める際に欠かせないのが、もう一つの神道文化学部三大行事「観月祭」です。

観月祭と若木祭

國學院大學観月祭は、平成二十二年から始まり、今年は五回目になります。若木睦は結成五年なので、同じ時間を歩んでいるのです。聞くところによると観月祭の端緒は平成二十一年に行われた第三十七回神輿渡御にあるといいます。

さて、その平成二十一年は國學院大學の渋谷再開発に一端の目途がついたことを契機に「神輿渡御を復活させたい!」と学生の間から声が出てきたそうです。それにより有志の学生らによって構想が練り上げられ神輿渡御が行われました。
計画の中で「神道文化学部生による神輿渡御であるから、祭典もある程度質のあるものにしたい」という思いもあったそうで、還御祭は瑞玉會、青葉雅楽会が奉仕し、神輿の前で蘭陵王の奉納まで行うようになったといいます。

当日、夕日と街灯の明かりに照らされた舞の姿は幻想的であり、誰もが大成功を感じたそう。この成功が、翌年の観月祭を実現する原動力となったともいわれています。一方で、神輿渡御を永続的に実施したいという願いを受け、その翌年に運営を司る軸として若木睦が結成されました。
今年の観月祭も六周年を迎え、若木睦の中でも改めて観月祭の意義を確かめ、協力を行いました。

<平成27年12月吉日発行 神輿新聞 9面コラムより>

つまり、神輿渡御は休止期間が存在した

神輿渡御は令和元年で47回を迎えますが、36回と37回の間には数年のブランクがあります。

そのブランクというのが、上記の通り「渋谷キャンパスの再開発」でありました。36回以前は瑞玉會を中心に神輿渡御実行委員会が設立されて若木祭の運営が行われていましたが、キャンパスが一時たまプラーザに全面移転したことで運営が行われなくなってしまったのです。

その状況を打開しようと、再開発に一旦のめどがついた状況で立ち上がったのが今の若木睦であります。37回の神輿渡御では有志が集まって神輿渡御実行委員会が設立され、大変なプロセスを経て渡御が斎行されたのです。

その有志達が今の若木睦を創った

若木睦はそのとき中心となっていた高島俊亮氏によって命名され、會が発起されました。それにより國學院大學若木祭の神輿渡御は今に至るまで再興から11回を迎え、今もそれが永続的に行われるようになったのです。

令和元年(2019)に若木睦結成十周年を迎え、一つの節目となりました。

伝統を受け継ぎつつ新しい取り組みも各年で取り入れていくなど、若木祭神輿渡御は若木睦によって年々進化を遂げています。

若木睦が大学全体を盛り上げていく

若木睦が若木祭で毎年神輿を斎行することで、大学全体にも好影響を与えています。「観月祭」がその顕著な例でしょう。若木祭神輿渡御で行われていた祭事がスケールアップしたものが「観月祭」であり、それが今では神道文化学部の実質的な公認行事になっています。若木睦の存在が、学部しいては大学全体の興隆につながっています。

若木祭神輿渡御の様子はこちら

令和元年 若木祭神輿渡御本祭